"べき"で喋るな
「べきで喋るな」は「喋らないべき」ではなく「喋るな」と言っている。
べきで喋らないことを terfno.icon にとっての正解にしようと頑張ってみようと思う。
「正解はなんだったのか」と永遠に過去を振り返ることになる
「いまとれるアクションのなかでどれが正解だろうか」と永遠に悩むことになる
"べき"で語ると、悩むことになる
善悪の虜となり、世界のグラデーションを見失うことになる
「〜すべき」で喋りたいとき
多分選択肢がいくつかあって、どれをとるかで悩む
「〜なら〜すべき」という思考を連続して、結論を出そうと頑張っている
すると差だけが見える
この差を埋めるアクションをたくさん見つける
そしてそれを比べる
これを繰り返すことで「〜なら〜すべき」ではなく「〜なら〜する」に変化する
「〜なら〜する」は正しさについて悩むのではなく、現状の理解について悩む方向に変化する
「〜からはこう見える」に集中しやすく、正解という概念から逃げられるのではないだろうか